はい、どうも、みなさん、というか、みなさんというほど読まれないですが、6年ほどほったらかしだったホームページとかブログをちょっと手直してみようかということになりまして。

やっているうちにまた面倒臭くなって、やめてしまうかもしれないのですが、久しぶりに書きたいことを書いてみようという気になりました。

Twitter・・・今はXっていうんですか。ずっと混沌としているじゃないですか。みんなで戦ってますよね。誰と戦ってるんですか?なんでそんな戦うんですか?って問いただしたくなるぐらいみんな戦ってるイメージがありまして、そこに来て運営も混沌としはじめ、青い鳥がパサパサと飛んでいって、黒い謎のXが両手両足を広げて空からやってきたりして、ちょっとあそこに書くのが億劫になっています。

元々わたくし本当に臆病者なので、下手なこと書いたらぶわぶわと拡散されて炎上するのが怖くて何も書けません。Facebookは書きたいことを書くというよりは、リアルなお付き合いの方々が対象なので、あんまり意味不明なこと書けません。近況報告にとどまっているのです。

まー、SNSはぶっちゃけあんまり好きじゃなくなりました。

といって、ブログはちょうど良いのですが、真面目に書こうとすると時間がかかる。だから、適当に書きます。はい。

さてさて、このホームページは2015年につくり、2016年頃からほったらかしですが、それなりにご利用がございまして、BF Click Counter なんぞは、まとめ記事を書いてくださる人までいて、感動しております。

SMFフォーマット解説は 1997年から続く老舗ページが今日まで脈々と受け継がれておりまして、いろいろな方にお読み頂いています。

自分自身は1997年から・・・もう26年になりますか、ずっとなんか形をかえつつこういうページを運営しています。私のネット遍歴を振り返ってみるのもよいかなーと思い、つらつらと書いてみます。

インターネットとの出会い

これがモデム

私がインターネットと出会いましたのは専門学校の頃、1996年頃でしょうか。1995年にWindows95が発売され、インターネットと言う言葉は知っていましたが、実際に触れることになったのは1996年の春ぐらいですね。

当時、コンピュータ総合学園HALという専門学校のゲーム専攻学科に所属していました。HALがインターネットを導入するということになったのが転機です。しかも、学校がプロバイダとなり、自宅からもネットに接続できるようにしてやると、しかも、メールアドレスも生徒全員に配るという大盤振る舞いぶりで、今から考えてもすごい学校だったと思います。でも、ネットに繋げるWindows95マシンを持っていなかったのです。PC9821 Ce2というWindows3.1マシンにWindows95に見えるスキンを被せて使ってました。ビニールのグローブで我慢している少年のようです。

そこで、私はバイトに勤しみ、40万を貯めて、Pentium Pro の166MHzで32MBのメモリ、1.5GBのHDDを搭載したマシンを購入しました。念願のWindows95搭載のハイスペックマシンを手に入れて、早速インターネットの世界に飛び込みました。3時間ほど設定に悪戦苦闘して、繋がったときの感動ったら。当時はモデムという機械をPCにつないでネットに接続していました。私が買ったマシンにはモデムも内蔵されていて、ピーガーというFAXで聞くのと同じような音を鳴らしながら、インターネットに接続するのです。この瞬間のワクワク感、今の人には伝わらんかー。

PCのモデムから電話のモジュラージャックまでコードでつなぐのですが、電話のモジュラージャックには当然電話のコードが刺さっているので分岐器をかまして、つなげます。ネットに接続している間は電話が使えません。キャッチホンを有効にして、電話がかかってくるとネットが切断されてしまうこともありました。不便なことでした。

まずインターネットに接続して、最初に見るホームページの定番というのがありまして、ひとつは「ホワイトハウス」、もう一つは「PLAYBOY」でした。ホワイトハウスのホームページはホワイトハウスにあるサーバーにあるデータが読み出されて自分のところに届くと教えられていたものですから、それを考えるだけでも大興奮。「PLAYBOY」は別の意味で大興奮・・・ゴホン。正直な所、外国の方々には興味がない。ので、ふーんって感じで見てました。

今とは違い、ネットに繋ぐのに電話回線を使うので、3分10円の通話料がかかります。3時間つなぐと600円。毎日続けると18,000円。なかなかの金額です。で、NTTは当時「テレホーダイ」という23時から8時の間、2つの指定番号についてはどれだけ通話しても固定料金というサービスをしていまして、ネット使う人はみんな契約していました。23時〜8時を「テレホタイム」と呼んでいました。

ネットに接続するにはプロバイダという接続業者を通さないといけませんが、プロバイダの受け皿が小さいと、回線がパンクしてしまい、23時になっても話中になって、なかなか接続できないということもありました。が、私の場合、学校がプロバイダになっていたので、そんなこともなく悠々とインターネットを楽しんでおりました。

ということで

いや、書きすぎた。こんな毎回は書かないので、こんなもんで。

この後、ホームページを作ることに興味を持って、専門学校を中退してネットの世界に埋没していくのですが、それはまた今度かければなーと思います。

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